【ポルトガル】カーネーション革命って知ってますか?
ボン・ディーア!
外出自粛生活43日目。
政府が5月初旬から段階的な経済活動再開の方針を発表したからなのか、春らしい陽気のせいなのか、街に人が増えたような気がします。これまでは、散歩などの外出は2人までだったのに、5人までを推奨になったらしいのです。先週末から道端に集まる若者やおじさまたちの謎が解けました。でも、急に人との距離をつめる勇気はありません。
さて、今日は4月25日(25 de Abril)。ポルトガルにとっては歴史的な日。革命記念日です!現在は「自由の日(Dia da Liberdade)」という祝日になっています。
1974年4月25日、独裁政権打倒を祝して、市民が花で街を飾り、受け取ったカーネーションを兵士が銃口に刺したことから「カーネーション革命(Revolução dos Cravos)」と呼ばれています。
別名:「四月革命(Revoluçao de Abril)」、「四月二十五日(25 de Abril)」
ポルトガルの暗黒時代
私は恥ずかしながら、ポルトガルが40年以上も独裁政権下にあったことをつい最近まで知りませんでした。おそらく世界史の教科書には載っていたはずですが、勉強した記憶はございません。ポルトガル移住を考え始めてから、ポルトガル関連のコンテンツを検索する過程で、ポルトガルの暗黒時代を知り驚きました。
カーネーション革命まで
1933年〜 アントニオ・サラザールによる独裁体制(エスタド・ノヴォ)が成立
1961年〜 アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウで植民地戦争
1950年代〜60年代 経済状況が悪化、国民が他国へ流出、欧州最貧国へ転落
1968年 サラザールが病に倒れるも、後継者のマルセロ・カエターノが独裁体制を維持
1973年 植民地戦争の泥沼化に危機感を抱いた青年将校らが体制変革を目指し「国軍運動」を組織する
1974年4月25日 「国軍運動」が首都リスボンで決起し、市内の要所を占拠、独裁体制下の首相・大統領はマデイラ島へ移送され、無血革命を成し遂げる
革命後、マカオを除く、旧ポルトガル植民地はすべて独立、1999年、マカオは中国へ変換
カーネーション革命前と後での変化
ちょうど今日、夫がオンラインでのポルトガル語のクラスがあり、教材がカーネーション革命についてだったので、それを参考に革命後どんな変化があったのかを紹介します。
革命前
- 政党が一つしかなく、一党独裁だった
- 自由選挙がなかった
- 政府批判は許されず、批判する者は逮捕された
- 政治警察(秘密警察)が存在した
- 検閲に承認されたニュースのみが新聞に掲載された
- 若者は4年間を軍隊で、うち2年間を戦場で過ごさなければならなかった
革命後
- たくさんの政党が存在するようになった
- 自由選挙が行われるようになった
- 誰もが投票できるようになった
- 表現の自由と思想の自由が認められた
- 政治警察(秘密警察)が存在しなくなった
- 自由に出版できるようになった
- 植民地戦争が終わった
責任と自立あってこその自由
革命前の社会を想像してみると、私たちが当たり前に謳歌している自由がどれほど尊いものかがわかります。戦後の日本に生まれた私たちは、戦争の経験もありません。2020年の今も、世界を見渡せば、自由が存在せず、紛争に苦しむ国があります。その事実を再認識すると、自由のために闘ってくれた先人に感謝し、自分の置かれた環境がどれほど恵まれているか痛感せずにはいられません。
一方で、自由にはリスクも伴います。自分に都合の良い解釈で自由を振りかざし、社会の一員としての責任を果たさない人ばかりだと、負の連鎖が始まるかもしれません。また、自立心のない人にとっては、強い政府が決めた通りに行動する方が楽かもしれません。
ある学者が「民主主義を守るのは自分たち国民だと自覚し、ふさわしい政治家を選び、政府を監視しながら、自らの信念と責任で行動しないと、現在のような混乱に乗じて、独裁政権が生まれる危険性がある」と話していました。歴史を振り返ると、なくはない話です。
人と会うことが制限されている今だからこそ、自分の人生と行動指針をじっくり考える時間なのかもしれませんね。
カーネーション革命について学べる場所はココ
Museu do Aljube Resistência e Liberdade
ポルトガルの近代・現代史を学ぶのに最適な博物館。植民地戦争から、独裁政治時代など、目を覆いたくなる史実を写真をふんだんに使って解説しています。
https://www.museudoaljube.pt/en/
Museu da Guarda Nacional Republicana
ポルトガル共和国国家警備隊の歴史博物館。入館したことはありませんが、「入り口でどんな博物館ですか」と訊ねた時、「カーネーション革命についても学ぶことのできる場所です」との答えが印象的で、再開したらぜひ行ってみたいと思っています。